アンコールはなぜ衰えた?都江堰はなぜ2000年動き続ける?【第4回・水を治める土木】

こんにちは、さいろじくんだよ。連載「世界遺産とその技術」もいよいよ第4回。今回のテーマは「水」なんだ。石や木は形が残るから技術の話がしやすいけど、水は流れて消えてしまう。それなのに、大きな都市をつくって支えたのは、じつはこの「見えにくい水の技術」だったんだよ。ジャングルに眠るアンコール、二千年以上動きつづける中国の都江堰、ほとんど傾いていない坂を水が流れていくローマの水道。この3つの技術のしくみを一つずつ見ていこう。

結論:都市の運命を左右した「水の設計」

古代の巨大都市は、水をどれだけ上手に運び・貯め・逃がせるかで運命が決まっていたんだ。水は少なすぎれば作物が枯れて人が住めないし、多すぎれば街を押し流してしまう。だから都市の土木は、水を「増やす技術」ではなく、水を「分けて、たくわえて、余りを捨てる技術」だったんだよ。

今回の3つは、その3つの答えを見せてくれる。アンコール(カンボジア)は、雨季の雨を巨大な貯水池と運河にため込んで乾季に配る「水利都市」——でも、そのため込む仕組みが、気候の急な変化にはもろかったと考えられている。都江堰(中国)は、川をせき止めずに分けるだけで洪水と灌漑を同時に解決した、驚くほど長もちする発想。ローマの水道は、ほとんど平らに見える坂を水が自分で流れ落ちるように、恐ろしく精密に測って土地に線を引いた技術なんだ。ここから一つずつ詳しく見ていこう。

本論①:アンコール——雨をため込んだ「水利都市」

まずはカンボジアのアンコール。アンコール・ワットの寺院で有名だけど、あれは巨大都市のごく一部なんだ。9〜15世紀に栄えたクメール帝国の都で、街の骨格になっていたのが運河・堀・堤・貯水池でできた巨大な水の配管網だったんだよ。この貯水池を現地の言葉でバライ(baray)と呼ぶ。なかでもWest Baray(西バライ)は、長さ8kmを超える人工の水がめなんだ。

アンコールがどれくらい広かったかというと、寺院のまわりに整然と広がる都市域は、当時としては世界でも最大級の集落の集まりだったと報告されている(Evans et al., 2007)。ここで気をつけたいのは、これは「集落の複合体」としての広がりの話で、一つの市街地にぎゅうぎゅうに人が住んでいたという意味じゃないんだ。むしろ田んぼや水路が街のあいだに入り込んだ、低い密度で広く分散した街。だから水路網は「街のインフラ」であると同時に「農業のインフラ」でもあった。この水の管理ネットワークとして都市をとらえ直したのが、続く研究(Fletcher et al., 2008)なんだよ。バライにためた水を運河で分け、乾季に少しずつ配る——雨まかせの気候のなかで、水のタイミングを人の手でずらす仕組みだったんだ。

ジャングルに広がるアンコールの水利都市を上空から見た様子。中央に寺院、周囲に巨大な貯水池と格子状の運河・田んぼが広がる水彩の俯瞰イラスト
雨季の水を貯水池(バライ)と運河にため、乾季に配る「水利都市」の模式図。

LiDARが明らかにしたジャングルの下の都市

問題は、この都市域の大半が今は森に覆われて、地上からは見えないことなんだ。そこで使われたのが航空レーザー測量(LiDAR=ライダー。上空から地面にレーザーを大量に当てて、はね返ってくる時間から地表の凹凸を細かく測る技術)だよ。木の葉のすき間をぬって地面に届いたレーザーだけを拾うと、森を「はがした」あとの裸の地形が浮かび上がる。これで、植生の下に隠れていた運河や堤、区画の跡がまとめて見えるようになったんだ。

この測量は一度きりじゃなくて、段階を分けて行われている。まず2012年に取得したデータを解析した研究が、森の下に計画的な都市の格子が広がっていることを示した(Evans et al., 2013)。この技術のすごいところは解像度で、約100平方メートルほどの小さな池や、幅10mくらいの細い線状の地形——数十センチ単位の起伏まで見分けられたと報告されている。さらに2015年に取得したデータの研究(Evans, 2016)は、考古のプロジェクトとしては当時最大規模の測量で、アンコールなどの都市域が思っていた以上に広がっていたことを示したんだ。なお、データを撮った年(2012・2015)と論文が出た年(2013・2016)は別なんだよ。

衰退の要因——単一では語れない複合的な事情

これだけ精巧な水都市が、なぜ15世紀に力を失ったんだろう。これは「これが原因だ」と一つに決められる話じゃないんだ。研究者たちも、いくつもの要因が重なったと考えている。順番に、物証を見ていこう。

一つ目は気候の記録だよ。ベトナム南部の木の年輪から約750年ぶんの水の多い・少ないを復元した研究(Buckley et al., 2010)によると、14世紀半ばと15世紀初めに、数十年も続くきびしい干ばつがあったんだ。しかも、その乾いた時期の合間に、逆に雨がどっと降る年がはさまっていた。14世紀半ばの干ばつは、この約800年でいちばん長く続いた乾燥期で、記録上いちばん乾いた年は1403年だったという(いずれも、この年輪で復元できる約750年間のなかでの話だよ)。干ばつは水と作物を細らせるし、逆に強すぎるモンスーン(季節ごとに向きが変わる風。夏に大量の雨をもたらす)の年は、水路や堤を壊してしまう。乾きと洪水の「両極端」が交互に来る——これは、ためて配る仕組みにとっていちばん厳しい揺さぶりなんだ。

年輪が語るのは大空の気候。それが地面の水がめにどう響いたかを見せてくれるのが、West Barayの底に積もった泥を筒状に抜き取って調べた研究(Day et al., 2012)だよ。この堆積コア(池の底の泥を垂直に抜いた試料。深いほど古い層で、時間の記録になっている)は約2mぶんあって、放射性炭素で年代を測ってある。それによると、11世紀初めに造られてから13世紀までは、そこそこの量の土砂が流れ込んで維持・管理されていた形跡があるのに、14世紀に入ると土砂のたまる速さが一気に——桁が一つ変わるほど——落ちたんだ。この時期は、さっきの年輪が示す14世紀後半〜15世紀初めのモンスーンの不調とちょうど重なる。これは「バライが完全に干上がって捨てられた」という話ではないんだよ。コアが示すのはあくまで「泥のたまる速さが変わった」という事実。バライへの水と土砂の出入りに、以前とは違う何かが起きていた、というところまでが読み取れる範囲なんだ。

三つ目は、水路網そのものの「弱点」に注目した研究(Penny et al., 2018)だよ。アンコールの水配分網を、617個の地点(ノード)と1013本のつながり(エッジ)からなるネットワークとして数式で表して解析したんだ。分かったのは、長く乾いた気候に合わせて最適化されてきた水網が、14世紀半ばに「急に雨が多い年」へ切り替わったとき、うまく受け止めきれずに不安定になること。ある場所に流れが集中すると、そこが壊れ、負担が隣へ回ってまた壊れる——ドミノ倒しのように故障が連鎖する(専門的にはカスケード故障と呼ぶ)おそれがあったんだ。そして、この論文の著者たち自身が「これが唯一の原因だ」という考え方をはっきり退けているんだ。政治のまとまりが弱まったこと、1431年にシャム(いまのタイ、アユタヤ)の軍に攻められたこと、交易の重みが海のほうへ移っていったこと——こうしたいくつもの事情と並ぶ「一つの要因」として、水インフラの構造的なもろさを位置づけているんだよ。だから「アンコールは干ばつで滅びた」とは一言では言えなくて、ためて配る都市は、たくわえる能力が高いぶん、気候が急に振れると弱い面もあった——いまの研究から言えるのはここまでなんだ。

本論②:都江堰——川を「せき止めず、分けるだけ」の発想

アンコールが「ためて配る」都市なら、次に紹介する中国・四川の都江堰(とこうえん)は、まったく逆の発想なんだ。ここには大きなダムがない。川をせき止めるのではなく、川をふたつに分けるだけで、洪水を防ぎながら田んぼに水を引く。着工は紀元前3世紀ごろ、秦の時代に李冰(りひょう)という人物らが手がけたと伝わっている(着工年は資料によって幅があり、紀元前3世紀・秦代とされる)。ユネスコの世界遺産にも2000年に登録されていて、近くの青城山とセットで守られているんだ(UNESCO World Heritage Centre, 2000)。

都江堰がすごいのは、電気もポンプもない時代に、水の性質だけを利用して自動で調節するように設計されていることだよ。仕組みは大きく3つの部品からできている。順番に見ていこう。

都江堰を上から見た模式図。川の中央の分水堤(魚嘴)で水が二方向に分かれ、下流の低い堰(飛沙堰)と狭い取水口(宝瓶口)へ流れる様子を示す水彩の図解イラスト
魚嘴で分け、飛沙堰で土砂を吐き、宝瓶口で取り込む量をしぼる。ダムなしで洪水と灌漑を両立させる三点セット。

水と土砂を自動でさばく三つの構造

数値解析でこの仕組みを検証した研究(Zheng et al., 2020)にそって説明するね。

  • 魚嘴(ぎょし)——川の真ん中に置かれた、魚の口のような形の分水堤(水を左右に分ける堤)。ここで川が、灌漑用の内江と、排水用の外江のふたつに分かれる。うまくできているのは、水位によって分ける割合が自然に変わること。水が少ない乾季は内江(田んぼ側)へ約6割、外江へ約4割を送って農業を助け、水が多い洪水期は逆に内江への配分が下がって、成都平原の街や田んぼを水びたしから守る。これがいわゆる「四六分水」だよ。人が弁を操作しなくても、川の水位そのものが配分を切り替えてくれるんだ。
  • 飛沙堰(ひさえん)——内江に入ってしまった土砂を、外江側へ吐き出すための低い堰(排砂の余水吐き)。川が曲がる外側(凸岸)に置かれているのがミソで、カーブを曲がる水の勢いを使って、内江に流れ込んだ砂の9割を超えるぶんを外江へはね出せると報告されている。水が増えると余った水と土砂がこの低い堰を越えて外江へ逃げる仕掛けなんだ。
  • 宝瓶口(ほうへいこう)——山を切り開いて作った、幅の狭い取水口。数値解析では幅およそ20.4mとされる。ここが「のど」のように細いから、内江へどれだけ水が来ても、街へ入っていける量は自然に上限がかかる。洪水のときに水がなだれ込むのを、口の狭さそのものが止めているんだよ。

ダムでせき止めないぶん、土砂は毎年たまっていく。だから都江堰は、乾季に川ざらえ(浚渫。底の土砂をさらう作業)をして、堆積と排出のつり合いを人の手で保ちつづけてきた。ただ、二千年以上機能してきたのは事実でも、造った当時のまま無改修だったわけじゃないんだ。改修と川ざらえを何度もくり返して、あの仕組みが今も生きている。現在では約668,700ヘクタール——とても広い農地に水を送りつづけている(UNESCO World Heritage Centre, 2000)。「大きな構造物で自然をねじ伏せる」のではなく、川の流れの癖を読んで味方につける——都江堰は、そういう土木のもう一つの正解を見せてくれるんだよ。

本論③:ローマの水道——ほとんど平らな坂を流す技術

最後はローマ。水道橋のアーチについては第1回でアーチ構造として紹介したけど、ここでは橋そのものより、水をどう流したかという水理(水の流れの理屈)に注目したいんだ。ローマの水道の本質は、じつは「高い橋」じゃなくて「ほとんど傾いていない坂を、水に自分で流れさせる測量の精度」にあるんだよ。

例に挙げるのは、南フランスのニーム(ローマ名ネマウスス)へ水を送った水道だよ。工学的に数値まで解析した研究(Ortloff, 2021)によると、この水道は泉から街の分水槽まで約50kmを、ポンプも使わず自然に流れ落ちる設計なんだ。ここで全長ぶんの落差はどれくらいだと思う?——わずか約17mなんだ。50kmで17mということは、平均の傾きは1kmあたり約0.34m。割合にすると約3000分の1という、ほとんど水平に近い坂だよ。これはローマの本市に給水していた水道群の平均勾配と比べても、その約10分の1という極端な緩さだと報告されている。

三段アーチの石造水道橋(ポン・デュ・ガール)が緑の谷の川を渡り、最上段の細い水路がほぼ水平な一本の線として通っている水彩イラスト
約50kmで下げる高さはわずか約17m。ほとんど平らな坂を測り抜く精度が、ローマ水道の核心。

100mで7mmという測量の精度

この緩さがどれほど繊細か、有名な水道橋ポン・デュ・ガール(Pont du Gard)を例に見てみよう。ガルドン川をまたぐこの橋は長さ約274m、川床から約48.8mの高さにある堂々たる石橋で、単独で世界遺産に登録されている(UNESCO World Heritage Centre, 1985)。前掲の解析(Ortloff, 2021)によると、この橋の区間の落差はごくわずかで、いちばん緩いところでは100m進んで、たった約7mmしか下げないという精度が求められたんだ。指の関節ひとつぶんの高さを、100m先まで正確に狂わせない——それを石を積んで実現していたわけだよ。

この「100mで7mm」は橋という一区間の局所的な傾きの話で、水道全体の平均勾配(0.34m/km)とは別の数字なんだ。橋の上ではとりわけ緩やかに、全体としてはもう少し勾配をつけて——場所ごとに傾きを調整しながら、50kmを一本につないでいたんだね。

こんな精密な水平をどうやって測ったんだろう。ローマの技師はコロバテス(chorobates)と呼ばれる水準器を使っていた。長い水平の台に水を張った溝がついていて、水面の位置で台が傾いていないかを確かめる、いわば巨大な水準器だよ。ただ、当時の測量器具の役割の細かいところは史料が限られていて議論もあって、どの器具をどう使い分けたかまでは分かっていない。分かっているのは、こうした道具で緩い勾配を一定に保っていた、というところまでなんだ。

流した水の量も見ておこう。ニーム水道の設計上の流量は、最大でおよそ1日4万立方メートル——泉の湧き出す量しだいで、季節によって約2万〜4万立方メートルのあいだで変わったと見積もられている。水の流れる速さは平均で毎秒約0.5mほど、泉から街へ届くまで約28〜32時間かかった計算だよ。ただし、これらの流量や到達時間は、水路の寸法から逆算した設計・推定の値で、当時そのまま計測されて残っている数字ではないんだ(前掲 Ortloff, 2021)。街に着いた水は、直径約5.5m・深さ約1mの円い水盤(分水槽=カステッルム)にいったん受けられ、そこから10本の配水口を通じて市内へ分けられていた。都市のすみずみへ水を届ける「蛇口の親玉」みたいな設備だね。

まとめ:都市の寿命を決めた水の設計

ここまでを振り返ろう。今回のテーマは「水をどう運び・貯め・逃がすか」で都市の運命が決まった、という話だったね。3つの遺産は、その問いに違う答えを出していた。

  • アンコール(カンボジア)——雨季の水をバライ(巨大貯水池)と運河にため込んで乾季に配る「水利都市」。航空レーザー測量(LiDAR)で、森の下の広大な都市域が見えてきた(2012年取得→2013年発表、2015年取得→2016年発表)。衰退は複合要因で諸説あり。年輪が示す干ばつと豪雨(Buckley et al., 2010)、West Barayの泥がたまる速さの急な低下(Day et al., 2012)、水網の構造的なもろさ(Penny et al., 2018)が重なった——ためて配る力が高いぶん、気候の急な振れには弱い面もあった、というところまでが今の到達点だよ。
  • 都江堰(中国)——ダムでせき止めず、魚嘴・飛沙堰・宝瓶口の三点で川を分け、水も土砂も自動でさばく。四六分水と9割超の排砂で、洪水を防ぎつつ田んぼをうるおす。川ざらえを重ねて二千年以上、今も約66万ヘクタールを灌漑している。
  • ローマ水道——約50kmで落差わずか約17m、いちばん緩いところは100mで約7mmという精度で、ほとんど平らな坂を水に流れさせた。流量などは設計・推定の値だけど、測量と勾配の設計そのものが技術の核心だったんだ。

面白いのは、ここで「過去の気候を復元する」やり方が出てきたことだよ。アンコールの話に登場した木の年輪や池の底の泥は、どれも自然が勝手に残してくれた記録から昔の気候を読む手法なんだ。じつはこれ、僕が前に書いた南極の記事で紹介した、氷の柱(氷床コア)から大昔の空気や気温を読み解く発想と、根っこはそっくりなんだよ。自然の中に埋もれた「タイムカプセル」を読む——古い遺産の謎解きと、地球の気候の記録は、思っているより近いところでつながっているんだね。

そして、その気候こそが次の話につながる。都市を支えた水の技術も、気候が急に変わると足元をすくわれることがある——アンコールがそれを教えてくれた。じゃあ、いま気候が動いている時代に、世界遺産をどう守り、どう未来へ残していくんだろう。次の第5回では、3Dスキャンによる記録や修復の材料科学、そして気候変動と遺産の話をしていくよ。石(第1回)から水(この回)まで見てきた技術の物語を、いよいよ「これから」の話へ橋渡ししていこう。

参考文献

  1. Evans, D. H.; Fletcher, R. J.; Pottier, C.; et al. (2013). Uncovering archaeological landscapes at Angkor using lidar. Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS), 110(31), 12595-12600. doi:10.1073/pnas.1306539110
  2. Evans, D. H. (2016). Airborne laser scanning as a method for exploring long-term socio-ecological dynamics in Cambodia. Journal of Archaeological Science, 74, 164-175. doi:10.1016/j.jas.2016.05.009
  3. Buckley, B. M.; Anchukaitis, K. J.; Penny, D.; et al. (2010). Climate as a contributing factor in the demise of Angkor, Cambodia. Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS), 107(15), 6748-6752. doi:10.1073/pnas.0910827107
  4. Day, M. B.; Hodell, D. A.; Brenner, M.; et al. (2012). Paleoenvironmental history of the West Baray, Angkor (Cambodia). Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS), 109(4), 1046-1051. doi:10.1073/pnas.1111282109
  5. Penny, D.; Zachreson, C.; Fletcher, R.; et al. (2018). The demise of Angkor: Systemic vulnerability of urban infrastructure to climatic variations. Science Advances, 4(10), eaau4029. doi:10.1126/sciadv.aau4029
  6. Evans, D.; Pottier, C.; Fletcher, R.; et al. (2007). A comprehensive archaeological map of the world’s largest preindustrial settlement complex at Angkor, Cambodia. Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS), 104(36), 14277-14282. doi:10.1073/pnas.0702525104
  7. Fletcher, R.; Penny, D.; Evans, D.; et al. (2008). The water management network of Angkor, Cambodia. Antiquity, 82(317), 658-670. doi:10.1017/S0003598X00097295
  8. Zheng, X.; Kazemi, E.; Gabreil, E.; Liu, X.; Chen, R. (2020). Sustainability of the Dujiangyan Irrigation System for over 2000 Years: A Numerical Investigation of the Water and Sediment Dynamic Diversions. Sustainability (MDPI), 12(6), 2431. doi:10.3390/su12062431
  9. UNESCO World Heritage Centre (2000). Mount Qingcheng and the Dujiangyan Irrigation System (World Heritage List ref. 1001). UNESCO World Heritage Centre(公的一次情報).
  10. Ortloff, C. R. (2021). Roman Hydraulic Engineering: The Pont du Gard Aqueduct and Nemausus (Nîmes) Castellum. Water (MDPI), 13(1), 54. doi:10.3390/w13010054
  11. UNESCO World Heritage Centre (1985). Pont du Gard (Roman Aqueduct) (World Heritage List ref. 344). UNESCO World Heritage Centre(公的一次情報).

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